今年は「ミニマリスト」より「質実剛健」で行こう

もうおしゃれな響きの「ミニマリスト」は卒業しましょう。

これからは、単にモノの数を競うミニマリストより、本質を見て外見や評判に囚われない質実剛健な人が必要とされる世の中になると思い、このタイトルを付けてみました。

質実剛健の意味を調べると

中身が充実して飾り気がなく、心身ともに強くたくましいさま」

飾り気が無い=無印良品ではないですよ。中身が充実していることが条件なので。

無印はシンプルを売りにしたオシャレブランドと化している部分がありますね。プラスチック製品や過剰包装が多いことも、「充実した中身」のイメージからは、かけ離れているような気がしてしまいます。

例えば、私の自慢の夫、二コラ。彼を見るにつけ、質実剛健という言葉が浮かびます。

夫の二コラは飾り気が無いを極めたような人です。

服は48年間の人生で服をほとんど買ったことがありません。子どもの頃はひとつ年上の兄のお下がり、成長してからも、友人知人がくれるものを気候に合わせて着るだけです。

もちろん、自分からくれなどと言うことは一度もなく、断っても押し付けられるから受け取っているだけです。スリムなので、彼になら着てもらえるであろう衣類がどんどんと思うみたいです。

夫が受け取ればその人たちは満足しますので、彼はそれを寄付します。

自分が使う分だけ残しあとは寄付。もう一生分の服は持っていると言います。

持っている服は、穴が空いても気にせず着ています。特に気に入っている服は私が繕っていますが、それ以外はボロボロになるまで着ます。

普段着用→作業用として着まわしたあと、バラしてティッシュペーパー代わりに鼻をかんだり、私の生理用ナプキンや靴下の補修用などにキープします。

穴の空いた服を取っておくなんて未練がましく、ミニマリスト的にはNGかもしれません。ですが、質実剛健な暮らしとしてはOKだと自負しています。

ファッション的にはNGかもしれません。彼は、美しく見えるかどうかを一切気にしません。気にするのは気温に対して適正であるかどうか。

寒くて風邪をひかないか、暑すぎて汗だくにならないかだけが重要なのです。

快適であれば色や柄も気にせず着ます。年に一回くらい私が「いくら何でもその組み合わせは」という時だけ直します(笑)

それから夫は、スポーツジムなどに行くこともありません。見せかけの筋肉を作ることは、彼の望むところではないからです。

ただ、ロッククライミングにハマっていた時期があるので、腕には筋肉があり、そこら辺のマッチョな男性よりはずっとパワフルです。筋トレをすることもありませんが、より難しい崖を上るために、自然に鍛えられたという感じです。

細身なのでベジタリアンかとよく聞かれるのですが、肉も魚も食べます。ですが、どうしても食べなくてはいけないというわけでもありません。

食べ物にさえもこだわりがなく、「美味しくて健康に良ければなんでもいい」というタイプです。

そして、こだわりがないこと自体が、心が強いことの表れです。

誰にどう思われても、何と言われようとも、自分がこうだと思ったらそれを貫きます。貫くという言葉が適当でないほど、肩の力が抜けています。とにかくこだわりがないのです。

例えば、私が人の目や、相手がどう思うかに囚われすぎてやりたいことができないとき

「気にするな。世界中の人間に気を遣って生きることなんかできないんだから」と言ってくれます。

人に親切にされたら子供のようにニコニコします。私のように裏を読むようないやらしい考えは彼にはありません(笑)

愛情表現もストレートで、駆け引きというものをまるで知らないかのようです。

基本的には物を一切捨てない夫ですが、私が「私たちには必要ないから寄付しよう」と言えばすんなりと捨てます。

彼にとって大事なのは、物ではなく、そこに暮らす自分たちだということが分かっているからです。

世のミニマリストのように今日は何個捨てたとか、全部で持ち物がいくつになったとか、仮に私が言い出したら驚くと思います。どうして数を数えなきゃいけないんだ?と不思議に思うでしょう。

捨てたものを写真になど撮ったら鼻で笑われるに違いありません。

とにかく、シンプル。

シンプルすぎて、「これは自分にとって必要なものか?」なんて考えることもないと思います。あればあるだけちゃんと使うし、無きゃ無いでどうにでもできるタイプです。

ただ、ありのままを受け入れています。

強くたくましい、質実剛健を絵に描いたような人です。

服は快適で気候に合っていればそれで良い

食べ物は美味しくて健康に良ければそれで良い

やりたいことはやれば良い

愛情は相手に伝われば良い

飾る必要はありませんよね。

そういう質実剛健を目指しませんか。

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